当事者

2006年5月29日コメント (2)
 ある人が、誰かを傷つけて、でも、傷つけたからといって、でも、落ち込まずに、自分を卑下せず頑張ろうと言って幸せを手に入れた。

 その人が物語りの主人公ならば、きっと誰もが良かったなんて想うだろう。でも、世の中は主人公は自分だけ。

 傷つけられた人が頑張っても頑張っても結局幸せになれないのが、また世の中で、必ずしも報われないのも世の中で。

 きっと傷つけられた事は一生消えぬ傷になり幸せなんて言葉すら思い出さなくなるだろう。

 生きてけば、それなりに幸も不幸もあるけれど、裏切られた後に幸がない人だって居るんだ。もう感じられない人だっているんだ。

 かといって、1度でもミスしたら誰も許されない訳じゃない。許される世界もあって。傷つけた人が未だに独りひざを抱えてたとしても。許される世界があって。

 人は変わっていく。きっと誰もが知っている。だから、もし裏切られる事があった人でも、どこかでその人を許す気持ちだってあって。でも、悲しみはとても重くて独りじゃどかしきれなくて。

 そんな当事者同士はきっと世界に何億とあって。

 でも、死ぬまで二度とすれ違わない世界もある。一度交わった直線はその軌跡をもう二度と交わすことはないのだから。

 それも世界。

 ぼくはそれが認めれるようなったのかもしれない。しかし、それは、、、、、未だ答え在らず

コメント

e~
2006年7月4日7:51

ランダムジャンプで偶然お邪魔させていただきました。

私は、ひとを傷つけたことも、自分が傷つけられた(傷ついた)ことも、両方あります。

ひとを傷つけてしまった痛み、償えないまま(謝ったとしても許してもらえるとはかぎらなくて)生きているやましさ、ずっと抱えていくのだろうな・・・と思います。

そして「傷つくほど強くなれる」なんてよく言うけれども、あまりにも傷つくと立ち上がれないんじゃないか?、と思うこともあります。

自分がひとに与えたり、ひとから与えられたりした影響が、
「直線」の方向をほんのすこしでも変えてしまって、もう二度と交わらなくなってしまうことを考えると・・・私も未だ答え在らず、です。

1010虫
1010虫
2006年7月7日2:37

きっと傷つくだけの運の悪い人だっているんだよね。この世の中。

それを憂い過ぎて直線を描く事すら忘れないように。

描く事すら忘れなければ、またどこかで何かあるかも!なんてこともあるかもねw

お互いがんばりましょー><