言い訳。
2006年3月15日 ぶっちゃけ誰も信じてない。今も。だから誰をも信じてる。信じるってのを使い方次第。自分の居場所ってのも使い方次第。
完全なる自分を受け入れられたことなんてない。完全なる自分の出し方を知らないから。そう言い訳すればどんなことも自分のせいって言える。俺が悪いと言えば、全ては丸く収まる術を覚えた。
かといって違う世界へ行けばぼくは丸裸。誰も僕を知らなくて、どんな悲しみもそこでは何もないと同じ。そんなちっぽけな自分を知って、昔は悲しくて今は希望となる。大きくなろうって。世界は広いから。
本当に泣きそうな過去ばかりだ。迷惑は色々かけた。でも一つ言える事。誰かのおかげで助かったってことは一個もない。誰かをみて自分で歩いたことはあるけど。背中を押された事なんてない。突き飛ばされた事はあるけど。誰かが居てくれて助けて貰ったって事なんてない。本当の心の支えって意味でね。
望んだ事をされたことはない。いつも最後は望まない事。でもそれが世界で。それでも、生きていけて。かといって悪い事してでも生きていけて。過去は過去で。今はどうなってるか分からなくて、良い人になってるかもね。俺にした事を忘れて。
その逆で、俺も悲しみをどっかに置いてそれを忘れて生きてることもあるんだろうな。
一つ想うのは本当に自分なんてどうでも良いって想ってるから、どうでもいいなら、この命を僕が綺麗って思える使い方をしようと想えて、それに向かって動いているのだとおもう。一歩間違えれば灰になる命の使い方を。そう、花火のような。不発花火になるか、綺麗に咲くか。
たまに過去に色々した話をすると、良い経験してるねって言われるけど、そこまで一人で、一人で、生きてる事を実感するには無茶して人に話せば馬鹿話になることをしなければ感じれなかった。苦しみを感じて、辛いって想って、体の心寒さに震えてるときに浴びた太陽の光とか。本当は一人でそこまで無理して夜を越す事なんてしたくないんだ。
心の底から自分の命は今はどうでもいいと想う。だから無茶な使い方。人からみたら一人でも色々頑張ってるな、凄いなっておもわがちな使い方、本当は、そうでもしないと生きていけない生き方。だから死にたいって想わない。死なんて希望にもならない。生きる事のが希望がある。無駄な命を綺麗に使えるという希望。金さえ一杯稼げば最後死ぬときにその金を全て使えばたくさんの命を救えるから。
死ぬことで誰かが救われるなら喜んで死にますよ。だから最近無駄に死ぬって言う人がいたら、じゃぁ、しね。そう言えると想う。死ぬ事が答えであっても何も不思議はないから。
トラウマがあって知人に会って一週間後に死んだって事が昔あった。それで、残された僕の悲しみがトラウマになってた。いや、そんなこと関係ない、彼が選んだ答えだ、快く迎えてあげよう。今ならそう想える。その過去のせいで、俺が苦しむ方がよっぽど偽善だ。よっぽど彼に失礼だ。まぁ、一度もうそれで失敗をしたけど。もう繰り返さない。
正しい事なんてない。今は、そう想う。誰にも受けいれてもらえない僕の悲しい言い訳でしかないとしても。今は、そう声高に言おう。いつか、またどうなるかわからないけど。答えはいつも変わり続けるから。
ちょっとでもカッコヨク生きるためには自分に嘘ついてでも過去を忘れてでも生きていくのも良いんじゃないか?
誰にも受け入られない馬鹿な僕の言い訳かもしれないけど。
完全なる自分を受け入れられたことなんてない。完全なる自分の出し方を知らないから。そう言い訳すればどんなことも自分のせいって言える。俺が悪いと言えば、全ては丸く収まる術を覚えた。
かといって違う世界へ行けばぼくは丸裸。誰も僕を知らなくて、どんな悲しみもそこでは何もないと同じ。そんなちっぽけな自分を知って、昔は悲しくて今は希望となる。大きくなろうって。世界は広いから。
本当に泣きそうな過去ばかりだ。迷惑は色々かけた。でも一つ言える事。誰かのおかげで助かったってことは一個もない。誰かをみて自分で歩いたことはあるけど。背中を押された事なんてない。突き飛ばされた事はあるけど。誰かが居てくれて助けて貰ったって事なんてない。本当の心の支えって意味でね。
望んだ事をされたことはない。いつも最後は望まない事。でもそれが世界で。それでも、生きていけて。かといって悪い事してでも生きていけて。過去は過去で。今はどうなってるか分からなくて、良い人になってるかもね。俺にした事を忘れて。
その逆で、俺も悲しみをどっかに置いてそれを忘れて生きてることもあるんだろうな。
一つ想うのは本当に自分なんてどうでも良いって想ってるから、どうでもいいなら、この命を僕が綺麗って思える使い方をしようと想えて、それに向かって動いているのだとおもう。一歩間違えれば灰になる命の使い方を。そう、花火のような。不発花火になるか、綺麗に咲くか。
たまに過去に色々した話をすると、良い経験してるねって言われるけど、そこまで一人で、一人で、生きてる事を実感するには無茶して人に話せば馬鹿話になることをしなければ感じれなかった。苦しみを感じて、辛いって想って、体の心寒さに震えてるときに浴びた太陽の光とか。本当は一人でそこまで無理して夜を越す事なんてしたくないんだ。
心の底から自分の命は今はどうでもいいと想う。だから無茶な使い方。人からみたら一人でも色々頑張ってるな、凄いなっておもわがちな使い方、本当は、そうでもしないと生きていけない生き方。だから死にたいって想わない。死なんて希望にもならない。生きる事のが希望がある。無駄な命を綺麗に使えるという希望。金さえ一杯稼げば最後死ぬときにその金を全て使えばたくさんの命を救えるから。
死ぬことで誰かが救われるなら喜んで死にますよ。だから最近無駄に死ぬって言う人がいたら、じゃぁ、しね。そう言えると想う。死ぬ事が答えであっても何も不思議はないから。
トラウマがあって知人に会って一週間後に死んだって事が昔あった。それで、残された僕の悲しみがトラウマになってた。いや、そんなこと関係ない、彼が選んだ答えだ、快く迎えてあげよう。今ならそう想える。その過去のせいで、俺が苦しむ方がよっぽど偽善だ。よっぽど彼に失礼だ。まぁ、一度もうそれで失敗をしたけど。もう繰り返さない。
正しい事なんてない。今は、そう想う。誰にも受けいれてもらえない僕の悲しい言い訳でしかないとしても。今は、そう声高に言おう。いつか、またどうなるかわからないけど。答えはいつも変わり続けるから。
ちょっとでもカッコヨク生きるためには自分に嘘ついてでも過去を忘れてでも生きていくのも良いんじゃないか?
誰にも受け入られない馬鹿な僕の言い訳かもしれないけど。
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