見ない振り。

2006年3月1日
 別に悲しんだとこで死人が蘇るわけでもない。時間が戻るわけでもない。悲しみが減るわけでもない。

 なら、精一杯悲しんだらもう次に行くべきだ。精一杯行動したなら結果を悔いてばかりでなく次に行くべきだ。

 正論って昔から知っていて、でも、ずっと昔から知っているけど、なかなか難しくて出来なかったけど。

 一杯悲しみを知れば知るほど分かってきた。誰かを傷つけて生きれば生きるほどに分かってきた。その結果の重さに慣れることは無理なぐらい悲しいけど、甘さと優しさの区別が見えてきた気がする。

 その分自分の体にも傷をつけ心にも爪を立て、自分だけには嘘をつかないように。感情のままに生きて、その先の後悔がないように。どこでどんなに頭で考えてきっちりしたって、予定外な事が起これば全て崩れてしまうのだから。

 なら、今を後悔しないように生きればいい。どんな結果になろうとも。例え最後は一人になろうとも。

 それで自殺でもするなら悔いはない。自分が出した答えだ。昔は言えなかったけど、今ならきっと言える。死にたい奴は死ねばいい。それがお前の見つけた答えならば。それに勝るものはないだろう、と。

 甘さが消えただけで優しさはあるのか。それとも優しさをどこかで置いて来てしまったのか分からないけど、確実に変わりつつある自分を想う。

 それでも、変わらないものもある。
 一度吐いた言葉に対してはあの日から嘘は付いてない。
 他人から聞いたら嘘に聴こえ様が
 必死でしがみついて守ってる。

 本当は悲しいのかもしれない。でも、見ない振り。

コメント